冷や汗もの!崖っぷち女子高校生を襲ったまさかの出来事
Mei さん からの投稿
高校三年生の三月。
この時期といえば高校生にとって人生を左右するといっても過言ではないほどの一大行事がある。
そう。
それは大学受験である。
この時私はセンター試験で解答する科目を間違えた上に、安全圏と言われた私立大学に尽く不合格を言い渡され、挙げ句の果てに国公立大学の試験にも落ち、途方にくれていた。
その後に恩師に別の大学の受験を勧められ、やっとの思いで、留年を回避したばかりだった。
自宅から通えないところに大学があるため、入学式までギリギリのスケジュールでなんとか住むところを見つけ、合格者対象のオープンキャンパスに参加した。
学校を見て周り、最後にたどり着いたのは大学生協の事務室だった。
そこで、一人の事務の方に出会い、生協推薦のパソコンなどの話を聞いた。
最後に、生協の書類がもう少ししたら届くだろうから、届いたら手続きをして下さいと言われた。
この日は3月22日だった。
一度実家に帰り、引っ越しの準備を進めた。
引っ越しの荷物整理も大方片付き、ふと考えた。あれ、生協の書類が届いてないな。
あれからすでに4日も経っているのに。
流石に遅くないか。
あまりに届かないので母親に話したところ、大学に確認してみるように言われた。
言われるがままに、大学に電話をかけてみるとなんと私の名前が名簿にないと言われた。
入学金も払い、手続きもしたのに何回名簿を確認しても私の名前がないというのだ。
生協の方も気が動転していたのか、生協の書類だけでも送りましょうかというが、私は生協に入りたいのではなく、大学に入りたいのだ。
一度電話を切って細かく確認するといって一度電話を切られた。
その間私は生きた心地がしなかった。
金を払い、アパートまで契約してきたのに実は合格していなかったなんて。
電話がかかってきた。
5分くらいの間だったのだろうが私にはとても長い時間のように思えた。
電話をとると、名簿に名前が見つかったとのこと。
おそらく、送り忘れているので再度お送りしますと言われた。
ホッとして涙が止まらなかった。
「昔お転校生が今の妻」
まーちゃん さん からの投稿
小学校のときです。
小学生ながら、すきな子がいました。
みなからも愛され、好かれていました。
その子が、転校することになり、「こどもながら」ショックをうけた思い出がありました。
私が、25歳の時、会社の仕事の関係で、地方に転勤になりました。
そのさいに、地方の工場で5年ほど勤務をしましたが、その工場の1人の女性がすきになりました。
温かく、笑顔があり、いつも笑っている彼女がすきになりました。
ふとした飲み会で、偶然にも会によばれ、お酒を一緒にしたときに、告白して「つきあって」もらうことができました。
つきあって、半年がたち、結婚といった話がもちあがり、「親は、住まいは、生まれは」などと様々な情報が飛び交いました。
そんなとき、ひょんなことから、生まれが○○県○○市といった内容で、話題が一致し、「昔は、あーだ、こーだ」の話題になりました。
そこで、「小学校で転校して」の言葉がきになりました。
何気に、どこのなんという小学校かをきいたら、わつぃ自身が育った小学校なのです。
そして、その際に、転校していった生徒であることが分かったのです。
偶然にも出会った2人ですが、「正直笑うしか」ありませんでした。「
ああ、あの時の!」が2人の気持ちです。
さわやかになれたのと同時にすがすがしく感じ、神様に感謝したことをわすれません。
子供は正直。おじいちゃんの頭をみて…
b21 さん からの投稿
身内ならまだ良いのですが、子供が3〜4歳の頃、スーパーマーケットや散歩中にすれ違う方(お爺さん)に対し、「髪の毛ないよ?なんで髪の毛ないのー?」と大きな声で私に聞いてくる。
ほんまに辞めてほしかった。
しかも、うちの子は声が通る声なので、余計に響き渡る。お爺さんに「すみません。」と言って即座にレジのほうへ逃げました。
すいませんと言うのも逆に失礼だったかなと考えたり、その後こどもに「今度髪の毛のない人いたら、ママのお耳の近くで小さい声で教えてね。」と伝えました。
ですが、まだ3〜4歳でしたのでまた事件発生。
また髪の毛のないお爺さんに「髪の毛ないよー!どうして?どうして?」と聞いてきます。
しまいには、お爺さんだけではなく、髪の毛の薄い方に連呼します。
(うちの子発達障害グレーです)
私も当時は精神的にもきていたのでしょう。
こどもに「ママも髪の毛なくなるんだからね!」と声を荒げてしまいました。
子供はキョトンとした表情でした。
周りの方も私の声の大きさにキョトン。
家に帰宅後に、根掘り葉掘り聞いてきます。
「ママお婆ちゃんになっちゃうの…?」と悲しそうに。
「なんで、お婆さん、お爺さんは髪の毛ないの?」とも聞いてきます。
私はこういう時は現実的に話します。
すると、つまらなさそうに聞き飽きてオモチャで遊び始めます。
5歳になってからは全くなくなりました。
「その理由も正解だけど・・・」
今は普通の会社員 さん からの投稿
20代に友人の新聞配達店を手伝っていたころのこと。
配達のおじさんで加藤さんという方がいました。
実年齢は40過ぎ、見た目は60歳の長髪、155cmくらいのパンチのきいた風貌でした。
いつもお金に困っており、給料は前借で底を尽きてしまうほどのお金遣いの荒さ。
毎朝、配達終了後に配達員に自動販売機でジュースを奢っていたのですが、加藤さんは毎朝みんなの分を私が渡したお金で買いに行っていました。
率先して買い出し係になる理由は、配達店前にある自動販売機が当たり付きの自動販売機で、たまに当たるんです。
当たった時は派手な音が早朝に鳴り響くため、配達店の中にいてもすぐにわかってしまいます。
当たった時は当たった分のお金を差し引いておつりを渡してくる、そんなお茶目なおじさんでした。
ある時、隣の和菓子屋の店主が加藤さんあての伝票を持ってこられ、そこには「赤飯280円」と書かれていました。
店主に聞いたところ、先週に加藤さんが手持ちのお金がないため、つけで赤飯を買ったとのこと。
私は280円のお金も持っていなかったのかと心配になり、配達から帰ってきた加藤さんに隣の和菓子屋の店主が伝票を持ってきたことと280円を払っておいたことを伝えました。
そこで「なんで赤飯なんかつけで買ったの?」と聞いたところ、加藤さんは「いや、もち米は腹持ちが良いんで・・・」との答え。
赤飯までつけで買わなければならない懐事情を心配しての質問に、なぜ赤飯だったのかを金額と胃の消化スピードの費用対効果で答える素晴らしい方でした。
お腹が痛くて…
かぁやん さん からの投稿
自分自身がこれまで生きてきた人生の中で経験した面白い話は、自分が小学生の頃の、とある話です。
それは、祖父と祖母と実家近くの川に遊びに行っていた時のことでした。
川の中を元気に泳いでいる魚の群れにエサをあげている際、途中でとてもお腹が痛くなり、便意が催してきました。
しかし、川の周りは緑の綺麗な自然豊かな環境だったため、公衆トイレなどはありませんでした。
でも、やはり生理現象を押されきることは出来ず、モゾモゾしていたところ、祖父と祖母が必死に対策を考えた結果が「溝」でした。
祖父と祖母が同じくらいのタイミングで溝を指さして、「ここでしなさいっ!!!!」と言うのです。
自分自身はその当時、小学生の低学年頃だったという記憶があるのですが、さすがに小学生の低学年頃でも地元の溝の中でトイレをするのは少し抵抗があった上、とても恥ずかしいと思ったのを今でも鮮明に覚えています。
しかし、小学生ながらにとても恥ずかしかったという記憶は鮮明にありますが、今となっては良い笑い話になって、話のネタとして、これから先の人生で活かしていけるのではないかとポジティブ思考で考えると、これまた良い経験が出来たのではないかと思っています。
演劇がくれた勇気
designG さん からの投稿
ある日上司に呼び出されました。
「業績落ちてきた、営業もやってくれないかな」 「あの、今までの業務は?」 「それも兼ねてってこと、生き残れないよ」 ただでさえ残業続きで時間も無いのに、営業も? 目の前が暗くなりました。
「君、演劇なんかやってるみたいだけど、そんな歳だし、考えな、大会とかで優勝したとか実績あるわけじゃないだろ、まぁ考えといて」 自分は演劇をやっています。
そして数週間後、規模は小さいけど演劇の大会に出ることになっていました。
そもそも演劇を始めたのは半年前、歳も40越えてから、周りからは呆れられ、変な目で見られました。
家と会社を往復する平凡な日常、何かを残したい、演劇はずっと見る側だけど、いつか心を熱くさせるような作品を作りたい。
そんな思いが強くなり、演劇のワークショップに通い勉強し、素人仲間でチームを組んで、大会に出ることになったのです。
大会は審査員と観客の投票で一番面白かった作品が優勝となります。
優勝すれば、周りからは一目置かれることになります。
しかし、それは容易な事ではなく、ベテランからは「参加賞だろうね」「演劇を舐めている」、そんな声も聞こえました。
ですが、今回上演する作品には、ちょっとだけ自信がありました。
自分は素人だけど、「良い作品を沢山観てきた」という事実があったからです。
これで箸にも棒にもかからなかったら、「演劇は辞めよう、黙って上司の要件を飲もう」と思いました。
大会当日、歴戦の経験者にまじり、素人集団の作品が開演しました。
観客は「未経験者がどんなひどい演技をするのか」を見に来てるのでは?なんて風にも思いました。
終演後、審査員の講評が始まりました、「酷評」です。
笑い物です。
ですが、審査の結果は観客票が上回り、なんと「優勝」でした!
平凡に40年生きてきた自分が初めて手にした「優勝」は大きく、自分に自信を持てました。
翌日、上司に呼び出されました 。「営業、やるよね?」 「いえ」 「え?」 「この先のことを考えたいです、なんか自分でやれそうな気がして…」
その後、独立して、小さな会社を立ち上げました。
今はコロナでとても厳しいですが、なんとかやっています。
コロナが収束したら、また演劇もやりたいと思っています。
ハマってしまった友達の末路
jopro さん からの投稿
当時専門学校に通っていた僕は、毎日色んな友達と遊び色んな場所に行っていた、その中のイベントの1つだったのが数人で行く風俗。
まだ行った事がない奴らを連れて行くと反応が面白かった。
その中の1人がその一回で異常にハマってしまったそうだ(本人からの後日談) とても真面目な友達だったのだが、その時から貯金を切り崩し風俗に通い始めたらしい。
ある時、彼に口元にポツポツとニキビのような吹き出物が出始めた。
彼はそんなものができたことが無かったので周りの友達に相談したりネットを使って調べ始めると衝撃な事に気づく、、
なんと本番を行っていなくてもエイズなどになる可能性があるということに。
内心パニック状態。
どうしよう、どうしよう、と迷い、これは1人の問題では済まないと思った彼は思い切った決断をした。
そう、家族団らんの晩御飯の時に、「あの、、ちょっと相談があるんだけど、、」と最近自分がこういうお店に通い、色んな行為をしたことを話したのだ。
後日談として彼は語った。
「あの真剣な話をした時の母親と弟の白い目は今でも忘れられない。」と。
父親だけは真剣に色んな事を聞いてきて一言、「病院行って検査してこい」と。
彼はその話を聞き次の日に仕事を休み病院に行って検査を受けることにした。
病院の先生にどうされましたか?と聞かれた際に家族に話した事を先生にも一生懸命に話した。
「こんな事を最近していました、そしてこんな行為をしていました」と医者は静かにウンウンと頷き、検査をしてくれた。
検査の結果、彼のこれからの運命が決まる一言が医者から発せられます、、、、、、。
「ただのニキビでした」
あれから父親以外の家族の反応が素っ気ない気がする、と彼は乾いた笑顔で僕に語ってくれた。
「これって私の学校だけ!?入学してわかった衝撃の事実!!」
歯無し さん からの投稿
私は、中学受験で行きたい学校があり勉強を頑張っていました。
しかし、中々勉強は進まなかったので、モチベーションを上げるために自分の行きたい学校のホームページを見ました。
行事の欄も部活の欄もとても楽しそうでした。また、学校の写真が写っていたのですが、綺麗だなと思い、勉強を頑張るぞといつもそうして、勉強していました。
そして時は過ぎて、受験も終わり、合格発表の日がやってきました。
見事合格しました!受かった後ウキウキして楽しい学校生活に思いをはせていました。
しかし、そこで問題が起こりました。楽しみだった投稿初日、桜が散る中で私は学校に入りました。
そして、びっくりしたのです。
あまりにも汚過ぎたのです。
私は目を疑いました。
しかし、現実でした。
校舎を歩いていくうちに多くのことを学びました。
剥き出しの配管、上靴なのか土足なのかわからない廊下、壁のない校舎とても開放的な場所でした。
遠くから見る女性は美しいと言い、近くに行くと幻滅してしまうこともあります。
まさか、学校でそういう思いをするとは思ってもいませんでした。
わたしは、ホームページを見ていたのでかなり衝撃を受けました。
私はある貼り紙を見ました。その貼り紙を見て、私のライフはゼロとなりました。
「鳩が入ってくるのでトイレのドアは閉めましょう」
部活の友達の一言にオレ大爆笑!!
マンタ さん からの投稿
これはぼくが中学3年生の時の話です。
中学生時代ぼくはバスケットボールをやっていました。
3年生になり中体連も終わり、部活も引退し勉強にうんざりしていた時、部活での三年生を送る会がありました。
あー良い息抜きだな〜なんて思いつつその日を迎えました。
その日のスケジュールは午前に新チームvs引退した者たちで試合をしたり保護者や顧問の先生も混ざったりしてワイワイし、夜にみんなで食事をするといったものでした。
食事をした場所は宴会場なようなところでした。
そこでは順番に料理が運ばれてくるといった形式でした。
最初はどんどん料理運んだこいやーなんて思ってましたが、次第にお腹が限界に近づき食べれなくなってきました。
ちまちま食べながら後輩が色んなコントや小芝居などを見ていました。
そんな中、友達が腹を押さえてヴぅーヴぅーと唸っていました。
そこで僕は「なんや、お前も食べすぎたんか」と聞きました。
すると友達は「違う、そうじゃない。」と言いました。
「じゃあ、なんや?」と聞きました。
すると友達は「カルピス飲みすぎた」と言いました。
ぼくは「バカだな〜」って反応していると友達がこう言いました。
「何が体にピースじゃ」
これを聞いたぼくは大爆笑‼︎そんな思い出深い三送会になりました笑
分かりにくい曾祖父の愛(シミができても愛してる)
しみのひまご さん からの投稿
これは、私の母が学生時代のお話です。
母の大学の近くに曾祖父・曾祖母の実家があり、母は大学の授業が休講になるたび、曾祖父・曾祖母の家へ遊びに行っていたそうです。
曾祖父は地元の銀行の役員をしており、当時は有名な投資家でもあったため、地元の長者番付に名を連ねるほど、厳格な人でした。
その仕事人間である曾祖父を支えたのが、4人の子供を産み育てた曾祖母でした。
ある日いつものように曾祖母・曾祖父・母の三人で食卓を囲んでいると、曾祖父がふと何かに気づきます。
そして曾祖母の顔をみつめ一言。
「その~でこについとる黒いのはなんか。シミか。」
瞬時に固まる居間の空気。
心の中で曾祖父へ突っ込みを入れまくる「おじいちゃん!それを言ってはおしまいよ!!」ピタリと動きが止まった曾祖母は、黙って立ち上がり、台所で食器をも黙々と洗い始めます。
そこでやっと自分の問題発言を自覚した曾祖父。
なんと声をかければ分からず、台所の近くをウロウロウロウロ・・。
初めて目にする祖父母の喧嘩(?)というか、冷戦に固まる母(当時20歳)。
流石の投資家、職場では鬼と恐れられた曾祖父も、妻の威厳には逆らえません。
解決方法を自分で決めあぐねた曾祖父は、ついに孫である私の母のもとへ来て、一言「シミ消しのクリームはどこに売ってあるとね」
母は、曾祖父に美容液の売ってあるデパートを教え、いそいそと買いに行ったそう。
当時もう70歳を超えていた老夫婦。
それでもいくつになっても乙女は乙女であり、いくつになっても男は女心が分かっていないと、二人が亡くなった今でも親戚の間で話題に登ります。
男性諸君、奥さんのシミに気づいても、何も言わないでくださいね。
サルの仕返し
ギャラクシー さん からの投稿
子どもたちを連れてある動物園に行った時のことです。
子どもたちは楽しみにしていました。
うちには長男、次男、長女の3人の子供がおりますが、次男はまるでお笑い芸人のような行動をとることが多くて、人を笑わすのが得意です。
ただ、一方でやんちゃすぎて手に負えないことも多い性格です。
動物園にはいろいろな動物がいましたが特にサルの種類が多くて、そこは餌を与えることもできる場所でした。
長男と長女はサルに少し離れたところから檻越しに餌を投げたり、慣れてきたら手渡しで渡したりとしていました。
そんな中、次男はサルを相手に渡そうとしてひっこめたりと何度も繰り返していました。
さすがにかわいそうに思った長男からはもう上げなよと言われていましたが、それでも渡すふりをして引っ込めてとしていました。
あまりにしつこくやっていたのでサルも相当起こったと思います。
さらに繰り返していた時でした。
サルは餌をとるのではなく、檻越しに次男の胸元の襟をつかみました。
気づいた時にはすでにがっつりつかまれた次男は檻にサルにひうっぱられてガンガン体をぶつけられていました。
びっくりして合わってて助けたのですが、それを見ていた長男、長女は大爆笑でした。
子供の頃、空を飛べると信じてやまなかった
俺にーと さん からの投稿
小さい頃って空を飛ぶことに憧れがあったりしませんか?私は魔法とかUFOとか信じていた純粋な少女でした(笑)当時、団地に住んでいた私は近所の友達と外で遊ぶことが大好きでした。自然が豊かなところだったので、山に行ったり活発だったと思います。アニメや漫画の話でも盛り上がることがありました。私はアニメか何かで傘を持って空を飛ぶキャラクターを見て、友達に「傘を持てば空を飛べるんだよ!」と自信満々に友達に言っていました。今思えばそんなわけは無いのですが、当時はとにかく飛べると信じていました。そして周りの子も信じていました。お昼ご飯を食べたらみんなで傘を持って集合ね!と言って解散しました。お昼ご飯を食べ終わって晴れた日に傘を持つ少年少女たち。私は塀に登り、傘を開き、勢いよくジャンプ!なんとなく遠くまで飛べた気がした私。それに便乗する友達。5〜6人が開いた傘を持って塀から飛ぶ。傘如きが人間の体重を浮かせれるわけもなく、どちらかというとそれぞれの身体能力で差が出ていました。そんな話を成人してから思い出して母親に言うと爆笑されました。私も今思うとなんて馬鹿だったんだろうと思います(笑)子供の考える事は夢があるなと我ながら思うのでした。
私の頭は???
みょんみよ さん からの投稿
これは母から聞いた私が幼稚園に通っていた時の話です。
2月の節分の行事の際に、鬼のお面を制作する形になりました。
幼稚園の先生から、「頭が入るサイズの被り物(カップ麺焼きそばなどの空パック)を持ってきてほしいのでよろしくお願いします。」とのことでした。
私の母は、私が長女と言うこともありどの容器を持っていけばわからなかったので、お友達ママに聴くと、「大体、どん兵衛や赤いきつねのサイズを持ってってるよ〜」とのこと。
そこで、どん兵衛の空きカップを私に持たせました。
しかし、後日私の担当の先生から「〇〇ちゃんママちょっといいですか、、、」とうかない顔をされて呼び出されてしまいました。
私は内気な性格で友達が少ない方だったので、母は何事かと思いヒヤヒヤして幼稚園へ向かいました。
そこで、先生に言われたことが「わざわざすみません。〇〇ちゃん(←わたしです)どん兵衛が頭に入らなくてお面今日作れなかったんですよ〜」
私の母「え??」
先生「なので、〇〇ちゃん」ここて先生が母親に渡します。
「ラ王で。」
母親は大爆笑し、家では私のあだ名がラ王になりました。
みなさんも頭のサイズを測る時、まずはカップ麺で測ってみてはいかがでしょうか?
タイの街中でゾウと!?
さき さん からの投稿
私が人生で一番面白かった出来事は、タイで起こりました。
20年ほど前、両親とともにタイのチェンマイとバンコクを旅しました。
チェンマイに2泊、バンコクに3泊したのですが、チェンマイは山に囲まれたのんびりとした地方都市で、バンコクは思ったよりもずっと発展している大都会でした。
チェンマイの風景を初めて見た時、山の色や形が、私のふるさとにある山ととてもよく似ていて、チェンマイくんだりまで来て、ふるさとと似たような風景を見てしまったなぁ、と思ったのも楽しい思い出ですが、さらに面白いことがバンコクで起こりました。
その日、私は、観光をすると言う両親と別れ、バンコク市内をひとりでてくてく歩いていました。
タイムズスクエアを目指して。
無事、タイムズスクエアの中を観光し、そのほかにもいろいろな場所を見て、さて、ホテルへ帰るか、と思った時に、雨が降り出したので、私はあわてました。傘を持っていなかったからです。
裏通りを通って、ホテルへ向かって走っていた私が、大きめの通りに出ると、何と、出会い頭に、ゾウと衝突しそうになりました!
人生で、ゾウにひかれかけたのは、初めてです。
車にもひかれたことがないのに!
そのゾウは、観光客を乗せるために、着飾っていました。
スタッフもすぐそばにいました。
ビックリしたー!! 幸運なことに事故は未遂で終わりましたが、何年たっても友人たちとの話題に上る、タイでの楽しい思い出です。
いつも食パンの耳を残す息子に「ヤマザキパンの人が悲しむ」と言った結果
いつも食パンの耳を残す息子に「ヤマザキパンの人が悲しむ」と言った所、本日耳までちゃんと完食しました。
— みや@withBOY3歳 (@miya_diets) October 21, 2021
所が、息子が「ヤマザキパン人は喜んでいるか確認しろ」と言い出して困っております。
自称ヤマザキパンの御関係者のの方がいましたら、息子に一言よく食べたねとリプライ下さい。何卒...。
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